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神戸地方裁判所 平成7年(ワ)880号 判決

原告

株式会社関西一休

右代表者代表取締役

田口好之

右訴訟代理人弁護士

高野嘉雄

関洋一

被告

有限会社喜晃産業

右代表者代表取締役

木戸晃洋

右訴訟代理人弁護士

小越芳保

津久井進

被告知人

田口好之

(右は被告よりの被告知人)

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は原告に対し、金五三五万五六七〇円及びこれに対する平成七年七月二七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、建物賃貸借契約に際し、賃借人から賃貸人に差し入れられた敷金返還請求権に質権を設定したと主張する原告が、質権に基づく取立権(民法三六七条)により、賃貸人である被告に対し、直接取立を請求する事案である。

一  基本的事実

1  木戸喜代晴(以下「木戸」という。)は、平成二年六月六日、杉岡晃(以下「杉岡」という。)に対し別紙物件目録記載の当時未登記の建物の一階東側約195.48平方メートルの店舗(以下「本件店舗」という。)を賃貸する契約を締結して引き渡した(以下「本件賃貸借契約」という。)。[争いがない。]

2  本件賃貸借契約に付随し、杉岡、木戸の間に杉岡が木戸に対し敷金四一三九万一〇〇〇円を差し入れる旨が約され(以下「本件敷金契約」という。)、同日、右敷金が差し入れられた。[争いがない]

3  杉岡は、居酒屋チェーン店を経営する原告のフランチャイジー(加盟店)として、原告とフランチャイズ契約を締結して、本件店舗で居酒屋一休の屋号で飲食店を経営し、原告から継続的に食材の供給を受けることになり、原告に対して現在及び将来負担する一切の債務を担保するため、平成二年六月二〇日、本件敷金契約による杉岡に対する敷金返還請求権に質権を設定する旨の書面を交わし(以下、便宜、「本件質権設定契約」という。)、同日、木戸も右質権の設定を異議を留めることなく承諾した。[甲第一号証、原告代表者]

4  別紙物件目録記載の建物は、平成三年一〇月一八日、被告に保存登記され、本件賃貸借契約上の貸主の地位も被告が承継した。[争いがない]

5  本件賃貸借契約は、遅くとも平成六年四月末日までに解除され、同日、本件店舗は被告に明け渡された。[争いがない]

6  右明渡当時における、原告の杉岡に対する売掛金残高は九八四万〇六二五円である。[甲第三号証、原告代表者]

二  争点

1  本件質権設定契約の成否

(一) 被告の主張

債権を目的として質権を設定する場合、債権証書があるときはその交付がない限り無効とされる(民法三六三条)。ここにいう債権証書とは、当該債権の履行を求めるにあたって、証書の提示又は引き換えが必要とされるような書面をいうが、建物賃貸借契約においては、賃貸物件の明渡しが完了した後、賃貸借契約書の返還と引き換えに敷金が返還されるのが通例であって、右一般の慣行にかんがみれば、敷金返還請求権における債権証書とは賃貸借契約書と解される。しかるに、原告は杉岡から本件賃貸借契約書の交付を受けていないから、本件質権設定契約は成立していない。

なお、原告が杉岡から交付を受けた入居保証金担保差入証書(甲第一号証)は、単に木戸が本件質権の設定を承諾したことを証する書面にすぎず、その書面の記載内容からは差入れ敷金の額さえも明らかでなく、敷金返還請求権の債権証書とはいえない。

(二) 原告の主張

指名債権にあっては、債権証書は単にその存在を証する書面であるにすぎず、債権を処分、行使するについて債権証書の所持を必要とするものではないから、債権証書の所持を奪って設定者に所持させても何ら公示に役立たない。

さらに、指名債権への質権設定の公示方法としても、民法は通知・承諾という対抗要件を認めているのであるから、指名債権について債権証書の交付を質権設定の要件とする自体が疑問である。

賃貸借契約書は、賃料請求権その他の賃貸人の地位に付随する権利及び賃借権その他の賃借人の地位に付随する権利を証する証書であり、賃借権の存否について争いが生じた場合には、賃貸借契約書がもっとも有効な証拠になるものであるから、賃借人にとっては、敷金返還請求権に質権を設定したからといって容易に賃貸借契約書を手放せるものではない。

したがって、敷金返還請求権に対する質権の設定の場合にまで、民法三六三条の適用があるとは考えられず、これを前提とする被告の主張は不当である。

また、本件賃貸借契約にあっては、敷金返還請求権の譲渡、担保権の設定が禁止されていたのに、原告、木戸、杉岡が立ち会って本件質権設定契約がなされ、木戸は質権の有効性につき何ら異議を留めず質権の設定を承諾したのであるから、いまさら、賃貸借契約書の交付を争い、本件質権設定契約の成否を争うのは信義則に反するといわねばならない。

さらに、被告の右主張は、本件訴訟が平成七年七月一九日に提起されて以来、七回の口頭弁論期日を経て証拠調もほぼ終了した後、第八回口頭弁論期日(平成八年七月一一日の最終口頭弁論期日)になってはじめて主張されたもので、時機に遅れた攻撃防禦方法として却下されるべきである。

2  清算の合意の有無

原告が、「杉岡の被告に対する本件賃貸借契約上の債務を控除した残りの敷金額は五三五万五六七〇円を下回らない。」と主張するのに対し、被告は、「本件質権設定契約に際し、賃貸人が賃借人である杉岡に対する一切の債務を本件敷金から控除できる旨の合意をしたところ、前賃貸人及び現賃貸人である被告(及び被告代表者)の杉岡に対する債権を控除すれば、杉岡に返還すべき敷金は存在しない。」と主張する。

3  名板貸責任(商法二三条)

被告は、「原告は居酒屋一休の屋号で数店の直営店を経営し、他方で第三者に対しても居酒屋一休の屋号を使用して居酒屋を営むことを許諾してフランチャイズ・チェーン店を展開しているところ、原告は杉岡にも同様の屋号を使用して営業することを許諾し、被告は、杉岡の営業主が原告と誤認して杉岡の事業に関連する債務の立替払いをして杉岡に対する五八二万〇八四八円の債権を取得したから、商法二三条に基づき、原告を営業主と誤認して取引をした被告に対し、原告は杉岡と連帯して債務を負担する。

よって、被告は原告に対し、第八回口頭弁論期日において、右債権を自働債権、本件敷金返還債務を受働債権として対当額で相殺する旨の意思表示をした。」と主張する。

4  商号続用営業譲受人の責任(商法二六条一項)

被告は、「杉岡は、かねて居酒屋一休の商号を用いて居酒屋を経営していたが、平成五年三月ころ、すべての営業を原告に譲渡し、原告は右商号を続用していたから、商法二六条一項に基づき、杉岡の営業により生じた被告に対する五八二万〇八四八円の債務を負担する。よって、前同様の相殺の意思表示をした。」と主張する。

第三  争点に対する判断

一  まず、本件質権設定契約の成否について検討するに、甲第二号証と弁論の全趣旨によれば、本件敷金契約においては、杉岡が木戸に敷金四一三九万一〇〇〇円を差入れし、本件賃貸借契約が解除されたときに滞納賃料等があれば、これを敷金から控除すること、本件賃貸借契約が解除され、本件店舗を明け渡す際、その解除が賃貸借契約の開始後一〇年未満の場合は差入敷金の三〇パーセント、二〇年未満の場合は二〇パーセント、二〇年以後の場合は一〇パーセントを差し引き、二五年以後の場合は全額を返還するが、賃貸人に正当な理由が生じて期間中に本件賃貸借契約を解除する場合は敷金全額を返還すること、契約期間中に杉岡が契約を解消して本件店舗を明け渡すときは六月前に貸主に予告し、予告期間が六月未満のときは、予告があってから六月後の月末に敷金を返還することなどが約され、右の合意事項は本件賃貸借契約書の一条、四条ないし七条に記載されていることが認められる。

そして、民法三六三条は、債権質の成立には当該債権の債権証書の交付を要する旨規定し、ここにいう債権証書とは債権の存在を証する書面をいうものと解すべきところ、前記認定事実によれば、本件賃貸借契約書には、敷金受領文言の直接的な記載は見当たらないが、賃借人である杉岡が「賃貸と同時に敷金を差入れする」との文言とともに、本件賃貸借契約を解除する場合、契約締結日から起算した経過年数により敷金から控除される金額の割合、さらには、敷金の返還時期を定めるなど敷金の返還に関わる基本的な約定を記載しているのであるから、本件賃貸借契約書は敷金返還請求権の存在を証する書面というべきである。

二  ところで、原告は、本件質権設定契約に際し、杉岡が原告に債権証書を交付したと主張して甲第一号証を援用する。しかし、甲第一号証は「入居保証金担保差入証書」と題する杉岡が原告に宛てた質権の設定を約した担保差入証書であり、これに、木戸の質権設定承諾の奥書に確定日付を徴した体裁となっていて、それ自体は債権証書とはいい難い。ただ、その本文には、「杉岡は原告に債権証書を差し入れます。」との記載があり、さらに、原告は、甲第二号証(本件賃貸借契約書のコピー)を証拠提出しているのであるが、甲第八号証と弁論の全趣旨によれば、原告は、本件質権設定契約に際し、本件賃貸借契約書の原本の交付を受けず、わずかに、そのコピー(甲第二号証)の交付を受けたにすぎないことが明らかである。そして、民法三六三条が債権質の成立についても債権証書の交付を要件としたのは、動産質、不動産質について質物の引渡を要件とした趣旨を債権質にも及ぼし、それとの均衡を保たせるとともに第三者に対する公示の目的を達しようとしたものであるから、ここにいう債権証書は原本をいうものであって、原本を債務者の手元に留め、その写しの交付を受けるのみでは債権質は成立しないというべきである。

三  原告は、敷金返還請求権に対する質権の設定にあっては民法三六三条を適用する根拠に乏しい旨主張するが、敷金返還請求権も指名債権であり、債権証書が存在しない場合はともかく、債権証書のある場合にその交付を要しないということはできないのであって、右主張は採用できない。もっとも、指名債権にあっては債権を処分、行使するにつき債権証書の所持を要しないこと等は原告が指摘するとおりであり、債権質、ことに一般の指名債権においてまで、動産質、不動産質の場合と同様に、債権証書の交付をもって質権成立の要件とすることの理論的当否については疑問も生じないではないが、民法三六三条の規定の存在を前提とする限り、原告の主張は実定法の解釈を超えるものといわねばならない。

四  さらに、原告は、前賃貸人である木戸が本件質権の設定に異議を留めず承諾した限りは、その地位を承継した被告が質権設定契約の成否につき争うことは信義に反するとも主張する。

しかし、木戸のした異議を留めぬ承諾は、質権の目的である敷金返還請求権の成否、取消、解除による消滅、弁済等による消滅など、敷金返還請求権が抗弁権を伴わない請求権として質権の効力に服することを承諾したにすぎず、その前提である質権設定契約が有効に成立したことまでを承諾するものではないから、被告が、質権設定契約の成否について争うことをもって信義に反するとはいい難い。

なお、原告は、被告の右主張は時機に遅れた攻撃防禦方法であるから却下されるべきものと主張するが、当審における審理の経過に徴し、いまだ時機に遅れたものとは認め難く、右主張は採用しない。

五  以上検討したところによれば、本件では、原告主張の本件質権設定契約そのものが成立していないのであるから、その目的である敷金返還請求権の残存額について判断を加えるまでもなく、原告の本訴請求は失当として棄却を免れない。

よって、原告の請求を棄却する。

(裁判官渡邉安一)

別紙物件目録〈省略〉

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